かいりつ
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(しらから転送)戒律
śīla शील、upalakṣaṇa उपलक्षण、vinaya विनय、saṃvara सँवर、prātimokṣa प्रातिमोक्ष(S)
戒律という場合、仏陀によって定められた規則のことであり、仏教教団人が修行を完成するためと、教団社会の秩序維持のために守らなければならない道徳的徳目や修行上の規範をいう。このような理解から、仏教徒の堕落の姿をみると、直ちに、戒律が守られないからだというので、戒律の問題が大きくとりあげられる。
では、戒律さえ守られたら、それでよいかといえば、けっしてそれだけで成仏の道は事たれりというものではない。
戒は正しい禅定がなされるための手段であり、智慧をうる手段の第一歩である。したがって仏の制戒といっても、それに対する理解がいろいろとあらわれ、戒律の数自体も必ずしも一定していない。その点、戒律の取り扱いには注意を要する。
一般的な規則や法律は、罪や人間の非行を予想して作られている。しかし仏教の戒律は、随犯随戒(ずいぼんずいかい)といって、事件にしたがって、それの防非のために制定されたもので、戒律の典籍が制戒の個条書である戒本と、その制定の起源事情来歴などを書いた広律との二部から成り立っている。この意味で、戒律には防非止悪の部分のみでなく、積極的に教団人としてなすべきことを規定した部分をもっている。前者を止持戒、止悪門、後者を作持戒、作善門という。これは律といっても単なる禁制でない点、仏教の特色を示している。
このように、戒律には防非止悪の面と作善勧奨の面がある。仏教教団が確立されて、必然的に定められた教団社会の秩序維持のための規律や修行完成のために、個人が守らねばならない規則を律といい、教団人が内心より自発的に守らねばならないと誓う側からは戒という。したがって、戒と律とは一応は区別しながらも、切り離すことはできない。
厳密にいえば、戒と律とは区別すべきである。
サンスクリット「シーラ」(śīla、尸羅)は戒である。「ウパラクシャ」(upalakṣaṇa、優婆羅叉)、「ビナヤ」(vinaya、毘奈耶、毘尼)、「プラティモクシャ」(prātimokṣa、別解脱)などは律をあらわす。さらに梵語「サンバラ」(saṃvara、三婆邏、三跋羅、三婆羅)は律儀(りつぎ)といわれ、戒律と同様に考えられる。
戒律の数
戒律は内容的には各学派や集団によって必ずしも一定していない。
- 長老上座に所属する法蔵部に伝えられた「四分律」では250の比丘戒と348の比丘尼戒。
- 上座部所属の化地部所伝の「五分律」では251の比丘戒と373の比丘尼戒。
- 上座部の中心部派である説一切有部所伝の「十誦律」では263の比丘戒、354の比丘尼戒。
- 大衆部所伝の「摩訶僧祗律」では218の比丘戒、290の比丘尼戒。
- セイロン上座部所伝では227の比丘戒、311の比丘尼戒。
など、代表的なものが数えられる。
戒律の種類
戒律の種類については、最も基本的なものは
- 別解脱律儀 別解脱戒
- 静慮律儀 定共戒
- 道生律儀 道共戒
の三種に大別される。
ここに律儀とは、「サンバラ」であり、「等護」「擁護」を意味する。戒律を制定し、それを守らせることによって、いっさいの衆生をともどもに悪趣に堕することから護ることができるからである。
別解脱戒
第一の別解脱戒とは、サンスクリット「プラティモクシャ」(prātimokṣa)である。それは律の個条書である。それが別解脱といわれるのは、一々の戒律を受持するとき、そこに種々の非悪を解脱するからである。この別解脱戒とは欲界の戒であり、それが別々に身三(殺、盗、婬)口四(妄語、綺語、悪口、両舌)の悪を棄捨して、その非を防護するというのである。
定共戒
定共戒とは色界定をうるものが定中に自ら身語の非を防護する点でいわれる。
道共戒
道共戒とは、無漏道をおこせばみずから防非止悪の働きがある点でいわれる。
このように、定や無漏道において自ら防非止悪がなされるものも、その防非止悪というところで戒律といわれる。
このうち、初めの別解脱戒について、五・八・十・具の戒が説かれる。
五とは五戒で不殺生、不倫盗、不邪婬、不妄語、不飲酒の五をいう。
八とは八戒で、以上の五戒のうち、不邪婬戒を不婬戒にかえて、そのほかに不香油塗身戒、不歌舞観聴戒、不高広大床戒、不非時食戒の四を加えたものである。このうち、不非時食戒は食物に関するものであるから、この九戒を一斎八戒とし、八戒斎、八斎戒ともいわれる。
十とは十戒で、この九つの戒に不捉金銀宝戒を加えたものをいう。
これらの五戒、八斎戒、十戒は、順次に在家の信者(優婆塞(upāsaka、信男)・優婆夷(upāsikaa、信女)の守る戒であり、これら在家の信者が毎月8、14、15、23、29、30日の、いわゆる六斎日に精舎で一日一夜の間守る戒、15歳以上の沙弥(ṣrāmaṇera)・沙弥尼(śrāmaṇerikā)といわれる出家の守る戒である。
具足戒
具とは具足戒であり、出家の比丘、比丘尼の守る戒であり、その数には少々の出入りがあるが、それらは五篇門〈ごひんもん〉といわれて五類に分類される。
- 波羅夷 はらい pārājika 教団追放という最も重い罪で婬、盗、殺、妄の四種
- 僧残 そうざん saṃghāvaśeṣa 大衆の面前で罪を懺悔すれば、追放されずに僧伽(教団)に残すという罪
- 波逸提 はいつだい pāyattika これを二つに分けて、第一は単提(たんだい)で、小妄語、両舌などの軽犯罪で他人に懺悔すれば許される罪。第二は捨提(しゃだい)といわれ、衣服坐具などを所定以上に所有した際、その余物を僧伽の中にさし出して懺悔すれば許される罪
- 提舎尼 だいしゃに pratideśanīya 他の一比丘に告白懺悔すれば許される罪
- 突吉羅 ときら duṣkṛta 不定と衆学と滅諍。不定とは罪を犯しているかどうか不確定なもの、衆学とは衣食住に関する細則を犯す罪、滅諍は教団内の紛争を解決するための規定
以上の五八十具の戒は、小乗の戒といわれ、大乗には大乗独自の戒律が説かれる。ただし、大乗になっても、僧の形を整えるために、これらの戒を授戒するならわしが古くあった。
このならわしを破って、真に大乗戒を確立したのは伝教大師である。いわゆる衆生が元来具備している真如仏性を戒体とした、一得永不失の戒といわれる大乗円頓戒の確立である。
大乗戒
大乗戒は、いわゆる三聚浄戒であり、摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒の三である。すなわち、ここには防非止悪の摂律儀戒(しょうりつぎかい)のみでなく、積極的に一切善法を摂する摂善法戒、一切衆生を利益しようとする利他行為を摂める摂衆生戒をも含めたものである。
この中の摂律儀戒も、単に五八十具でなく十重禁戒、四十八軽戒と大乗独特の戒律をいう。
十重禁戒
十重禁戒(じゅうじゅうごんかい)とは次のものである。
- 不殺生戒
- 不倫盗戒
- 不邪婬戒
- 不妄語戒
- 不酤酒戒
- 不説四衆過戒
- 不自讃毀他戒
- 不慳法財戒
- 不瞋恚戒
- 不語三宝戒
これら十重禁戒を整理すると、初めの五は五戒に相当し、後の五は貧瞋痴慢疑の五つの煩悩に関するものである。特に、小乗で不飲酒が、ここでは酒を売ってはならないという意味の「不酤酒」となっていることを注意すべきである。この十重禁戒は、出家だけでなく、在家と出家とをつらぬく僧俗一貫の戒である。
授戒作法
戒が自発的に守ろうと誓われたものを儀式的にみれば、戒儀といわれ、授戒の作法である。
授戒にあたっては戒を授ける戒和尚とその行儀作法を教える教授師と表白文をよむ羯磨師(こんまし)の三師と証人としての七人の人々を請じて行なう。
まず、受戒しようとする人間の資格審査を行ない、それにパスすると羯磨師が戒場の衆僧に教授師の承認を求め、それが認められると教授師は年齢や病気の有無や父母の諾否などをたすね、戒和尚はさらに改めて本人の意志を確かめ、戒をうけて後、それを必ず守るかと、その意志表示を三回くり返させて、戒和尚は作法にしたがって戒を授けるのである。
ところが、このように自ら戒を守りぬくとの誓いが戒体(かいたい)となって、受戒者の一生涯の行動を規正する力となるという。このような点で戒体は物質的なものか、精神的なものか、それとも何か別のものか等の議論が行なわれ、ここに律宗がお互いに立場を異にして分派する。