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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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ボーディ(bodhi)の音写。「覚」「智」「知」「道」と訳す。仏・[[えんがく|縁覚]]・[[しょうもん|声聞]]がそれぞれの果において得るさとりの智慧をいい、この三種の菩提のうち、仏の菩提はこの上ない究極のものであるから[[あのくたらさんみゃくさんぼだい|阿耨多羅三藐三菩提]]と名づけ、訳して「'''無上正等正覚'''」「[[むじょうぼだい|無上菩提]]」などという。
  
 [[ぶつだ|仏陀]]のさとった[[ちえ|智慧]]のこと。一切の[[ぼんのう|煩悩]]から開放された、迷いのない状態のことを言う。
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 『[[だいちどろん|大智度論]]』53には、仏の菩提について、<br>
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# 菩薩がさとりを求める心を発すのを、その心は菩提の果に至る因であるとの意から発心菩提
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# [[ぼんのう|煩悩]]をおさえて諸波羅蜜を行うのを伏心菩提
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# [[しょほうじっそう|諸法実相]]をさとった[[はんにゃはらみつ|般若波羅蜜]]の[[そう|相]]を明心菩提、
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# 般若波羅蜜において方便力を得て、般若波羅蜜に捉われず煩悩を滅して、一切智(薩婆若)に到るのを出到菩提
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# 仏果の覚智を無上菩提
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と名づけて、合わせて五種菩提という。
  
 [[ねはん|涅槃]]と同義だと考えられているが、[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]以降は違いがあるので注意を要する。
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 『[[ほけきょうろん|法華経論]]』巻下には、仏の法・報・応の三身について法仏菩提([[ほっしん|法身]]菩提)・報仏菩提([[ほうじん|報身]]菩提)・応仏菩提([[おうじん|応身]]菩提)の三種菩提を立てる。
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 『[[だいじょうぎしょう|大乗義章]]』18には、無上菩提に方便菩提と性浄菩提の二種があるとする。
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 [[てんだいしゅう|天台宗]]では十種の三法の一に三菩提を数えて、
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# 実相の理をさとるのを真性菩提(実相菩提、無上菩提)
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# その理にかなった智慧をさとるのを実智菩提(清浄菩提)
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# 自由自在に衆生を教化するはたらきをさとるのを方便菩提(究竟菩提)
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とし、これは法身・般若・[[げだつ|解脱]]の三徳と別のものでなく、かつ三菩提即ち三軌であると説く。
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 『[[じょうどろん|浄土論]]』には、
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# 自我にとらわれ
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# すべての衆生を安らかにしようと欲せず
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# 自己にのみ仕える、
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という菩提にそむいた三種菩提門相違の法を遠く離れるのを三遠離心(さんおんりしん)、三種離菩提障、また
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# 自身のために楽を求めず(無染清浄心)
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# 衆生の苦を除いて安らかにし(安清浄心)
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# 衆生をさとりに赴かせて永遠の楽を与える(楽清浄心)
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という菩提にしたがった三種随順菩提門の法による心を三清浄心とし、これらは智慧・[[じひ|慈悲]]・[[ほうべん|方便]]の三門によって離れ、また起こすとする。<br>
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 無上菩提を求める衆生を[[ぼだいさった|菩提薩埵]]、略して菩薩、無上菩提を求める心を[[むじょうぼだいしん|無上菩提心]]、無上道意、または[[ぼだいしん|菩提心]]などという。
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 また後世では、祖先などの菩提を増進する、即ち成仏を祈り、冥福を修めるのを増上菩提、或いは菩提を弔うなどといい、菩提を弔う寺の意で信徒がその所属の寺院を菩提寺、菩提所と呼ぶ。

2023年2月12日 (日) 09:20時点における最新版

菩提

ボーディ(bodhi)の音写。「覚」「智」「知」「道」と訳す。仏・縁覚声聞がそれぞれの果において得るさとりの智慧をいい、この三種の菩提のうち、仏の菩提はこの上ない究極のものであるから阿耨多羅三藐三菩提と名づけ、訳して「無上正等正覚」「無上菩提」などという。

 『大智度論』53には、仏の菩提について、

  1. 菩薩がさとりを求める心を発すのを、その心は菩提の果に至る因であるとの意から発心菩提
  2. 煩悩をおさえて諸波羅蜜を行うのを伏心菩提
  3. 諸法実相をさとった般若波羅蜜を明心菩提、
  4. 般若波羅蜜において方便力を得て、般若波羅蜜に捉われず煩悩を滅して、一切智(薩婆若)に到るのを出到菩提
  5. 仏果の覚智を無上菩提

と名づけて、合わせて五種菩提という。

 『法華経論』巻下には、仏の法・報・応の三身について法仏菩提(法身菩提)・報仏菩提(報身菩提)・応仏菩提(応身菩提)の三種菩提を立てる。

 『大乗義章』18には、無上菩提に方便菩提と性浄菩提の二種があるとする。

 天台宗では十種の三法の一に三菩提を数えて、

  1. 実相の理をさとるのを真性菩提(実相菩提、無上菩提)
  2. その理にかなった智慧をさとるのを実智菩提(清浄菩提)
  3. 自由自在に衆生を教化するはたらきをさとるのを方便菩提(究竟菩提)

とし、これは法身・般若・解脱の三徳と別のものでなく、かつ三菩提即ち三軌であると説く。

 『浄土論』には、

  1. 自我にとらわれ
  2. すべての衆生を安らかにしようと欲せず
  3. 自己にのみ仕える、

という菩提にそむいた三種菩提門相違の法を遠く離れるのを三遠離心(さんおんりしん)、三種離菩提障、また

  1. 自身のために楽を求めず(無染清浄心)
  2. 衆生の苦を除いて安らかにし(安清浄心)
  3. 衆生をさとりに赴かせて永遠の楽を与える(楽清浄心)

という菩提にしたがった三種随順菩提門の法による心を三清浄心とし、これらは智慧・慈悲方便の三門によって離れ、また起こすとする。
 無上菩提を求める衆生を菩提薩埵、略して菩薩、無上菩提を求める心を無上菩提心、無上道意、または菩提心などという。


 また後世では、祖先などの菩提を増進する、即ち成仏を祈り、冥福を修めるのを増上菩提、或いは菩提を弔うなどといい、菩提を弔う寺の意で信徒がその所属の寺院を菩提寺、菩提所と呼ぶ。