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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 日本天台を中心として発展していった思想で、『[[だいじょうきしんろん|大乗起信論]]』に初出する「[[ほんがく|本覚]]」(本来の覚性)という術語ないし観念を軸として展開していったもの。かつては時代区分の上から、中古天台思想とも呼称したことがある。中国において、[[げんじゅ|賢首]][[ほうぞう|法蔵]](643-712)が『[[けごんきょう|華厳経]]』とともに『大乗起信論』を用いて華厳哲学を確立したとき、本覚思想がはじまったが、日本に伝わって、[[くうかい|空海]](774-835)が『起信論』の応用解釈である『[[しゃくまかえんろん|釈摩訶衍論]]』を活用しつつ、密教の体系化に努めたとき、本覚思想は再び脚光を浴びる。特に『釈摩訶衍論』では、究極の理として本覚以上に「不二摩訶衍(ふにまかえん)法」ということが強調されており、それを空海は密教にあてはめ、最高位に密教をすえた。本覚思想も[[ふに|不二]]にポイントを置いたものとなる。<br>
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 日本天台を中心として発展していった思想で、『[[だいじょうきしんろん|大乗起信論]]』に初出する「[[ほんがく|本覚]]」(本来の覚性)という術語ないし観念を軸として展開していったもの。かつては時代区分の上から、中古天台思想とも呼称したことがある。中国において、[[げんじゅ|賢首]]大師[[ほうぞう|法蔵]](643-712)が『[[けごんきょう|華厳経]]』とともに『大乗起信論』を用いて華厳哲学を確立したとき、本覚思想がはじまったが、日本に伝わって、[[くうかい|空海]](774-835)が『起信論』の応用解釈である『[[しゃくまかえんろん|釈摩訶衍論]]』を活用しつつ、密教の体系化に努めたとき、本覚思想は再び脚光を浴びる。特に『釈摩訶衍論』では、究極の理として本覚以上に「不二摩訶衍(ふにまかえん)法」ということが強調されており、それを空海は密教にあてはめ、最高位に密教をすえた。本覚思想も[[ふに|不二]]にポイントを置いたものとなる。<br>
 
 空海没後、[[みっきょう|密教]]に盛られた不二・本覚思想は[[ひえいざん|比叡山]][[てんだい|天台]]に移入され、いっそうの発展をとげ、鎌倉中期(13世紀半ば)近くになってクライマックスに達する。<br>
 
 空海没後、[[みっきょう|密教]]に盛られた不二・本覚思想は[[ひえいざん|比叡山]][[てんだい|天台]]に移入され、いっそうの発展をとげ、鎌倉中期(13世紀半ば)近くになってクライマックスに達する。<br>
 
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 まず生死に関して、真の永遠・絶対の生命は生と死の対立を超越した「不生不滅(無生無死)」ないし生死不二のところにあり、そこから現実の生死二をふり返って見れば、生も死も、ともに生死不二の現れとして肯定されてくる。<br>
 
 まず生死に関して、真の永遠・絶対の生命は生と死の対立を超越した「不生不滅(無生無死)」ないし生死不二のところにあり、そこから現実の生死二をふり返って見れば、生も死も、ともに生死不二の現れとして肯定されてくる。<br>
 
 ついで同様の論法を仏凡・迷悟の二にあてはめ、仏のみならず、迷いの凡夫もまた「仏凡不二」の現れとして肯定するにいたる。凡夫こそは現実に生きた仏のすがたであるとして、凡夫本仏論さえ打ちだされ、ひいては日常の行為・生活のほかに、とりたてての修行は必要なしと説かれた。
 
 ついで同様の論法を仏凡・迷悟の二にあてはめ、仏のみならず、迷いの凡夫もまた「仏凡不二」の現れとして肯定するにいたる。凡夫こそは現実に生きた仏のすがたであるとして、凡夫本仏論さえ打ちだされ、ひいては日常の行為・生活のほかに、とりたてての修行は必要なしと説かれた。
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 法然坊源空(1133-1212)が出て、平安末期の末世的現実に立脚しつつ、本覚思想とはまったく反対の相対的二元論・現実否定の浄土念仏を唱導した。法然は、いかにすぐれた人間でも現世に生きるかぎりは凡夫を免れえないとして、修行・成仏の不能を主張し、代わりに来世浄土への往生を説きすすめた。<br>
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 ちなみに本覚思想は、凡夫そのまま本覚の現われであり、仏であると肯定し、修行・成仏の不要を主張した。法然のあとに出た親鸞・道元・日蓮たちは、両者のあいだにはさまれて思想的に苦悩し、それぞれ独自な方法で両者を止揚しつつ、あらためて仏教活動に乗りだした。鎌倉新仏教と称されるゆえんである。
  
 
===日本文化への影響===
 
===日本文化への影響===

2023年6月10日 (土) 17:30時点における最新版

本覚思想

 日本天台を中心として発展していった思想で、『大乗起信論』に初出する「本覚」(本来の覚性)という術語ないし観念を軸として展開していったもの。かつては時代区分の上から、中古天台思想とも呼称したことがある。中国において、賢首大師法蔵(643-712)が『華厳経』とともに『大乗起信論』を用いて華厳哲学を確立したとき、本覚思想がはじまったが、日本に伝わって、空海(774-835)が『起信論』の応用解釈である『釈摩訶衍論』を活用しつつ、密教の体系化に努めたとき、本覚思想は再び脚光を浴びる。特に『釈摩訶衍論』では、究極の理として本覚以上に「不二摩訶衍(ふにまかえん)法」ということが強調されており、それを空海は密教にあてはめ、最高位に密教をすえた。本覚思想も不二にポイントを置いたものとなる。
 空海没後、密教に盛られた不二・本覚思想は比叡山天台に移入され、いっそうの発展をとげ、鎌倉中期(13世紀半ば)近くになってクライマックスに達する。
 定義づけを試みると

  1. 二元相対の現実をこえた不二・絶対の世界の究明
  2. そこから現実にもどり,二元相対の諸相を不二・本覚の現れとして肯定

ということになる。

二つの段階

 現実の世界には種々の事物や事象が生起しているが、それらは自他・男女・老若・物心(色心(しきしん))・生死・迷悟(仏凡)・善悪・苦楽・美醜などのように,AB2のわくで整理される。そのAB2は,それぞれ独立・固定の実体(自性)をもって存在しているのではなく、無我のもとで、根底は不二・一体をなしている。つまり、AB不二が真実相であり、永遠相ということである。『維摩経』(入不二法門品)では、「空」のいいかえとして不二が強調されている。
 本覚思想は、まずAB不二の永遠相をつきつめていった。これが本覚思想の第1段階であり、第1定義である。
 ついで、そこから現実にもどり、AB2の諸相をAB不二・本覚の現れとして肯定するにいたる。これが本覚思想の第2段階であり、第2定義である。空海の不二は、この第2段階にあたるものである。

 男女を例にとれば、男女の二は、本来、根底においては男女不二で、これが第1段階における不二である。ついで現実の男女二にもどり、男女二を男女不二の現れとして肯定してくる。いわば,男女不二と男女二との不二で、これが第2段階における不二である。具体的にいえば、現実の男女二の当相つまり男女の愛欲・合体の当処に男女不二の境地を見るということで、現実に密着した、その意味で現実肯定的な不二・本覚の思想である。

現実肯定

 ただし、空海には現実にたいする否定性が残っていたが、叡山天台における本覚思想は、中世にいたって徹底した現実肯定につき進んだ。
 まず生死に関して、真の永遠・絶対の生命は生と死の対立を超越した「不生不滅(無生無死)」ないし生死不二のところにあり、そこから現実の生死二をふり返って見れば、生も死も、ともに生死不二の現れとして肯定されてくる。
 ついで同様の論法を仏凡・迷悟の二にあてはめ、仏のみならず、迷いの凡夫もまた「仏凡不二」の現れとして肯定するにいたる。凡夫こそは現実に生きた仏のすがたであるとして、凡夫本仏論さえ打ちだされ、ひいては日常の行為・生活のほかに、とりたてての修行は必要なしと説かれた。

現実否定

 法然坊源空(1133-1212)が出て、平安末期の末世的現実に立脚しつつ、本覚思想とはまったく反対の相対的二元論・現実否定の浄土念仏を唱導した。法然は、いかにすぐれた人間でも現世に生きるかぎりは凡夫を免れえないとして、修行・成仏の不能を主張し、代わりに来世浄土への往生を説きすすめた。
 ちなみに本覚思想は、凡夫そのまま本覚の現われであり、仏であると肯定し、修行・成仏の不要を主張した。法然のあとに出た親鸞・道元・日蓮たちは、両者のあいだにはさまれて思想的に苦悩し、それぞれ独自な方法で両者を止揚しつつ、あらためて仏教活動に乗りだした。鎌倉新仏教と称されるゆえんである。

日本文化への影響

 本覚思想は仏教哲理の究極的なものとして価値高いといえるが、迷いの凡夫までも肯定するにいたった点は、仏教の一線を逸脱するものであり、そこには現実肯定の日本思想が関係していると思われる。
 すなわち、鎌倉中期近くになって、叡山天台の伝統的な『法華経』・本門思想と結合しつつ、現実肯定の日本思想を取りこんで、徹底した現実肯定につき進んだということである。
 鎌倉中期から以降、これが日本思想側に逆輸入され、神道をはじめ、和歌・能楽・生け花・茶の湯などの文芸の理論化に供せられた。

 なお、内奥の真理ということから、秘授口伝とか切紙相承(きりがみそうじょう)という伝達方法がとられたが、これも日本文芸に採用された。