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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 [[ぼんのう|煩悩]]の別名の一つ。不善の心理状態が[[しゅじょう|衆生]]にまつわりついて拘束し、[[しょうじ|生死]][[りんね|輪廻]]からの[[げだつ|解脱]]の障りとなるから、このようにいわれる。また「纏」は、[[ずいめん|随眠]](anuśaya)が心の奥底に潜在的に存在する煩悩であるのに対して、実際の心理作用を伴って表面に現れる煩悩を指す。
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 [[ぼんのう|煩悩]]の別名の一つ。不善の心理状態が[[しゅじょう|衆生]]にまつわりついて拘束し、[[しょうじ|生死]][[りんね|輪廻]]からの[[げだつ|解脱]]の障りとなるから、このようにいわれる。また「纒」は、[[ずいめん|随眠]](anuśaya)が心の奥底に潜在的に存在する煩悩であるのに対して、実際の心理作用を伴って表面に現れる煩悩を指す。
  
===八纏===
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 [[むざん|無慚]]・[[むき|無愧]]・[[しつ|嫉]]・[[けん|慳]]・[[げ|悔]]・[[みん|眠]]・[[じょうご|掉挙]]・[[こんじん|惛沈]]の8種を「八纏」とする
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 [[むざん|無慚]]・[[むき|無愧]]・[[しつ|嫉]]・[[けん|慳]]・[[げ|悔]]・[[みん|眠]]・[[じょうご|掉挙]]・[[こんじん|惛沈]]の8種を「八纒」とする
  
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 八纏に[[ふん|忿]]・[[ふく|覆]]を加えて「十纏」とする
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 八纒に[[ふん|忿]]・[[ふく|覆]]を加えて「十纒」とする
 
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 とり入ること。佞なり。口利口に云ひとること。〔四教儀註〕〔八宗綱要91〕
  
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 小乗アピダルマでは心作用のうちの小煩悩地法の一つ。心の邪曲。   〔倶舎論〕
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 唯識説においては、邪曲。心のねじけたこと(cetasaḥ kauṭilyaṃ, Sthiramatiの訳)。〔唯識三十頌 T31-60b〕〔成唯識論 T31-33b〕
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 諂と云は人を蹣(くら)まし迷さん為に時に随ひ事に触れて奸(かたま)しく方便を回らし人の心を取り或は我過を蔵す心也、世の中に諂曲の者と云は此心増せる人也。   〔唯識大意〕

2022年1月31日 (月) 20:53時点における最新版

deva, sura (S)

 devaは「提婆」と音写され、suraは「素羅」と音写される。いずれも、光明清浄自在最勝などの意味であり、人間以上の勝妙の果報を受けたものであり、古くは部分がし須弥山の中に届いており、一端は遠く蒼空にあるとされ、総じて天趣と名づけられて六趣の一つに数えられている。
 また、その住処にかかわらず一切の鬼神を指して「天」と名づけることがある。
 すべての巧妙のものを「天」と呼ぶことがあり、たとえば人中の好華を天華と言うようなものである。

天とは、雑心に釈す如きは、光明有るが故に、これを名づけて天となす。これにあい随って釋す。またいわく天とは淨なるが故に天となす。    〔大乗義章〕

三種天

四種天


pra-vṛt- (skt; verb)

 「はたらき」を現わすこと。(識が)はたらくこと。


纒・纏

paryavasthāna (S)

 煩悩の別名の一つ。不善の心理状態が衆生にまつわりついて拘束し、生死輪廻からの解脱の障りとなるから、このようにいわれる。また「纒」は、随眠(anuśaya)が心の奥底に潜在的に存在する煩悩であるのに対して、実際の心理作用を伴って表面に現れる煩悩を指す。

八纒

 無慚無愧掉挙惛沈の8種を「八纒」とする

十纒

 八纒に忿を加えて「十纒」とする


 へつらう。

 とり入ること。佞なり。口利口に云ひとること。〔四教儀註〕〔八宗綱要91〕


śāṭhya: māyā (S)
 小乗アピダルマでは心作用のうちの小煩悩地法の一つ。心の邪曲。   〔倶舎論〕


śāṭhyaḥ (S)
 唯識説においては、邪曲。心のねじけたこと(cetasaḥ kauṭilyaṃ, Sthiramatiの訳)。〔唯識三十頌 T31-60b〕〔成唯識論 T31-33b〕

 諂と云は人を蹣(くら)まし迷さん為に時に随ひ事に触れて奸(かたま)しく方便を回らし人の心を取り或は我過を蔵す心也、世の中に諂曲の者と云は此心増せる人也。   〔唯識大意〕