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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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:むかし[[せじざいおうぶつ|世自在王仏]]が出現したとき、一人の国王が説法を聞いて[[ぼだいしん|菩提心]]をおこし、王位を捨てて[[しゃもん|沙門]]となった。これが'''法蔵菩薩'''で、菩薩はその後も修行に努め、限りなく長い間思索にふけって([[ごこうしゆい|五劫思惟]])、[[しじゅうはちがん|四十八願]]を立て、願成って[[むりょうじゅぶつ|無量寿仏]](すなわち'''阿弥陀仏''')になった。
 
:むかし[[せじざいおうぶつ|世自在王仏]]が出現したとき、一人の国王が説法を聞いて[[ぼだいしん|菩提心]]をおこし、王位を捨てて[[しゃもん|沙門]]となった。これが'''法蔵菩薩'''で、菩薩はその後も修行に努め、限りなく長い間思索にふけって([[ごこうしゆい|五劫思惟]])、[[しじゅうはちがん|四十八願]]を立て、願成って[[むりょうじゅぶつ|無量寿仏]](すなわち'''阿弥陀仏''')になった。

2017年4月11日 (火) 12:05時点における最新版

法蔵

643年-712年 中国の唐代の僧。賢首大師(げんじゅだいし)。康居国の出身。

 華厳宗の第三祖であり、華厳経学の大成者である。
 太白山で修行した後、17歳の時、智儼が雲華寺で『華厳経』を講義していたときに智儼の弟子となり、26歳で菩薩戒を受け、師の没後31歳(670年)に具足戒を受け出家して太原寺に入り、華厳経を広めたり、訳経を助けたり、祈祷などを行いながら広く活躍し、武周王朝期の第一人者と呼ばれた。
 門下に、文超、慧苑がいる。

兄弟子の新羅の義湘にあてた手紙の真蹟が現存している。(寄海東書

著書

  • 華厳経探玄記 20巻 大正蔵 35, 107
  • 華厳五教章  3巻  大正蔵 45, 477
  • 起信論義記  5巻  大正蔵 44, 240

法蔵

法蔵菩薩、Dharmakāra धर्मकार (skt.)

 阿弥陀の修行時代の名前。
 無量寿経

むかし世自在王仏が出現したとき、一人の国王が説法を聞いて菩提心をおこし、王位を捨てて沙門となった。これが法蔵菩薩で、菩薩はその後も修行に努め、限りなく長い間思索にふけって(五劫思惟)、四十八願を立て、願成って無量寿仏(すなわち阿弥陀仏)になった。