えつう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
会通、會通
会通とは「和会疏通」を略していった言葉であるが、この言葉はそれ自身で術語として用いられ、具名である「和会疏通」は、かえって会通の文字的説明とみてよいようである。
このように意味解釈の説明語であるような和会疏通については「和会」とか「融会」とかと略していったり、また「会〈え〉する」「通ずる」などと簡単にいって、同じ意味を示すとする。また、この「全通」の語は「会釈」〈えしゃく〉という語とも同義語であるとされる。
会通と会釈
ところで「会通」の語について『諸橋漢和辞典』では「クワイツウ」と訓じて出典をあげ「物の一緒になることと変化すること」をあらわすといい、また「よく理会して渋滞しないこと」を意味すると説明されている。また「会釈」については「難義を全通解釈すること」「和会通釈」の略であるといっている。したがって、「会通」と「会釈」とは大体同じ意味に用いられ、ものごとが渋滞なくスムーズに運んでゆくことをいったものと思われる。
しかし、仏教では「会通」「会釈」は大体同じ意味で用いられ、そこでは「一見相互に矛盾するようにみえる異説や異義について、それを一つの仏教という組織体系の中で、位置付け、その相違性や矛盾性をもつものの同一性を明らかにすることを意味し、また、それら矛盾関係にあるようにみえるものを調節する方法をいうのである」。いわば解釈法であるといえるであろう。
ところで、今日では「会通」という言葉はあまり一般的には用いられないが、「会釈」という語は、当初の意味から随分かけはなれた意味で用いられている。すなわち、やや古くは『沙石集』などで「あまりに会釈しすぎたり」といわれるように「それはあまり適宜に解釈しすぎたことである」というように、本来の意味をはみ出して解釈することを意味している。
したがって、この場合、なぜ自由に考え理解しすぎたかというに「相手の立場に考慮を払いすぎたから」であるとして「会釈」は「相手の立場に考慮を払って解釈する」と理解するのである。さらに、このような意味の拡充から転釈して「とりなすこと」「相手になること」「打ちとけて愛想よく挨拶すること」などといわれ、「軽く会釈する」などと用いられている。
仏教での会通
さて、上にすでに述べたように、仏教では「会通」という語は、中国仏教や日本仏教の性格を理解するために大切な術語であることに注意しなければならない。というのは、実はこの語は仏教典籍の解釈についての方法論的手法を示していると思われるからである。いま、諸種の辞典によって、その解釈をみる時、この語についての用例をあげている。
例えば、道綽の『安楽集』上に異見異執を破す中に「会通菩薩愛見大悲」という一項があるのを会通の例としている。すなわち、経典の中に「菩薩諸の衆生のうえに、若し愛見の大悲を起すならば、すなわち応に捨離すべきなり」と説いてある。
とすれば「衆生を勧めて浄土に往生せしめようとするのは、分別にとらわれた愛着の心ではないか。どうして、それによって迷の苦をのがれることができるであろうか」という問題を提起し、これを菩薩の行法のはたらきの般若の智慧によるから迷いにしばられないし、また行法の大悲によるから涅槃にとどまることがないからと会通する。このような例を会通というと示している。
また善導の「会通別時意」、吉蔵の『法華玄論』の「今試融合」や澄観の『華厳経疏』などをあげている。これらによれば、相当古くから中国で「会通」ということ、がいわれていたことを知るのであるが、これを文献研究の方法論的手法をあらわすものとみる代表的なものは『慈恩寺三蔵法師伝』巻四の次の叙述である。
玄奘が戒賢の下で唯識を学んでいた時、戒賢は玄奘の研究の進んだのをみて、ナーランダ寺で『摂大乗論』『唯識決択論』を講義するように命じた。ところがちょうどその時、ナーランダ寺で師子光という人が『中論』や『百論』などの中観学派の論書を講義していた。ところが師子光は講義の中で瑜伽行派の『瑜伽師地論』の学説を攻撃した。これに対して玄奘は師子光の非難は正しいものでないとして
- 聖人が教えをたてる場合、それぞれ自らの立場をもち、その立場から教えを説く。しかし究極のところはみな同じである。諸々の聖人の間に教えが矛盾しているように思うのは、そう考える者の理解が十分でない結果であって、誤りはうけとるものの側にある。
- 法はみな本来一つであるから、その矛盾は会通されればならない。会通する能力のないものが矛盾していると説くのであって、本来は矛盾していないのである。このように考えるなら『中論』も『百論』も『瑜伽師地論』も同じ真理を説いたもので、一を善しとし、他を間違いであるとする非難は誤りである
といっている。この玄奘のいう会通ということは、いわゆる経典解釈の方法として注意すべきである。
ところで、このような会通という経典解釈の方法が、どうしてとられるようになったかというと、中国では一般に聖賢の教えを文々句々まで絶対視する傾向がある。すなわち、聖賢の説いた経書の文の中には相互に矛盾するようなところがある。そのために、その矛盾が実は矛盾でないと説明しなければならない。このような場合、その説明の仕方を会通というのである。
いま、この経書解釈の方法が中国に仏教の典籍が移入された時、その典籍の所説の矛盾を矛盾でないと説明する方法である会通という方法が適用されたのであろう。すなわち、インドでは経典の取捨と選択が行われたので経典間の矛盾として処理されていた。ところが、中国に仏教の典籍が移入された時、そこには小乗の経典も大乗の経典も区別なく一緒に伝来された。しかも、いずれも仏の自説であるから、矛盾する主張がある筈がないと考え、これら経典の間の教義の矛盾をどう処理するかが重要な問題となった。
この場合、聖賢の教えに権威を感じていた中国の人々は、相互の矛盾を矛盾として一方を捨てるのではなく、これを会通という仕方で解釈した。後に種々の経典を釈尊の一生涯の伝道期に、それぞれ配当し、それぞれの経典の意味を明らかにしようとして説かれた教相判釈も、この会通の精神によるものである。
『華厳経』の説法を仏の自内証の教えとして、この仏の悟りへ達せしめるため、仏はいろいろの経典を説いて人々を導かれたとする有名な天台の五時教判なども、この会通という経典解釈の方法にもとづいて構成されたといってよいであろう。
このように会通という教典解釈の方法は中国仏教の性格を示すものといってよいであろう。この点では日本における仏教研究も、またこの伝統の中にあったといってよいであろう。
現代の問題
西洋における近代の学問的方法が、仏教の研究に適用されるようになって、仏教の研究は歴史的批判的研究となり、実証的研究も進められていった。そこでは経典そのものの成立が論じられ、会通という方法は用いられなくなった。ただ各宗の宗学にかいては、なお用いられる場合もあるが、今日では批判的研究が中心となった。しかし、思想や宗教の研究においては、この会通という研究方法の精神は再考されてよいと思われる。