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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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+ | あるものが生じる、成立する根拠、よりどころ。[[ゆいしき|唯識]]は一切の存在を生じる根本の依として[[あらやしき|阿頼耶識]]を立てる。詳しくは所依・[[えじ|依止]]・所依止という。 | ||
+ | : 福は智を依として智より生起す。 | ||
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+ | 人として存在しつづけるよりどころとしての身体。有余依[[ねはん|涅槃]]・無余依涅槃の依・依事・依持・所依事ともいう。 | ||
+ | : 一切の依が滅するを名づけて滅界と為す。 | ||
+ | : 依が滅するが故に無余依滅諦を得る。 | ||
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+ | 支えとなる保護者・援助者。 | ||
+ | : 苦ある者とは、依なき者、怙なき者なり。 | ||
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+ | 教えを聞いて修行する際の正しいよりどころ。cf. [[しえ|四依]] | ||
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+ | 生きていく上で支えとなるもの。自己の身心(五取蘊)と父母・妻子・奴婢・作使・僮僕・朋友・眷属などの人間をいう。あるいは衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依の5つが説かれる。依持ともいう。 | ||
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+ | 依者、謂、五取蘊及与七種所摂受事、即是父母及妻子等。(『瑜伽師地論』83、T30-765a) | ||
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+ | 依有五種。謂、衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依。(『雑集論』15、T31-768c) | ||
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− | + | 能依 依っている者。<br> | |
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2017年11月25日 (土) 08:51時点における版
目次
慧
般若のこと。智慧という術語では、「智」は「jñāna」、「慧」は「prajñā」の訳語とされる。
回
回鶻の略称。回鶻自体はウィグルのことだが、回教などとされイスラム教の象徴とされる。
会
(1)pariṣan-maṇḍala (S)
大勢の人が集まる集会。(説法を聴くために)まるく取り囲んだ人びとのあつまり。衆会ともいう。
- 彼彼の如来が彼彼の異類の大なる会に安坐して正法を宣説す。
(2)samavahita : sāṃnidhya (S)
結合すること。一緒になること。
- 衆縁が会す。
(3)
かなう、一致すること。
- 正見を首と為す八聖道支は正理に会す。
(4)saṃprayoga : samāgama (S)
会う、出会うこと。
- 怨憎と会す苦
- 所愛との会を欲す
(5)saṃnipāta (S)
集まる、集合する、群がること。
- 多く衆と会して語言に楽著す。
(6)
経典間で相異なる教えがあるとき、それらを比較して矛盾がないように解釈すること。会釈・会通とおなじ。
- 経文を会す。
依
adhikāra: āśrita
あることを説く根拠・よりどころ。
adhiṣṭhāna : āśraya
あることを行なう、考える根拠・よりどころ。詳しくは所依という。
- 分別の依と縁
- 八支聖道を依として一切の世間の善法を獲得す。
adhīna
あるものが生じる、成立する根拠、よりどころ。唯識は一切の存在を生じる根本の依として阿頼耶識を立てる。詳しくは所依・依止・所依止という。
- 福は智を依として智より生起す。
āśraya : upadhi
人として存在しつづけるよりどころとしての身体。有余依涅槃・無余依涅槃の依・依事・依持・所依事ともいう。
- 一切の依が滅するを名づけて滅界と為す。
- 依が滅するが故に無余依滅諦を得る。
nātha
支えとなる保護者・援助者。
- 苦ある者とは、依なき者、怙なき者なり。
pratisaraṇa
教えを聞いて修行する際の正しいよりどころ。cf. 四依
upadhi
生きていく上で支えとなるもの。自己の身心(五取蘊)と父母・妻子・奴婢・作使・僮僕・朋友・眷属などの人間をいう。あるいは衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依の5つが説かれる。依持ともいう。
依者、謂、五取蘊及与七種所摂受事、即是父母及妻子等。(『瑜伽師地論』83、T30-765a)
依有五種。謂、衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依。(『雑集論』15、T31-768c)
よりどころ、依止。依憑。
能依 依っている者。
所依 拠りどころになっている者。