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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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   依有五種。謂、衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依。(『雑集論』15、T31-768c)
 
   依有五種。謂、衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依。(『雑集論』15、T31-768c)
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===転依===
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 転依のこと。
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 依者、謂、転依。捨離一切麁重、得清浄転依故。(『雑集論』11、T31-746a)
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===8種の依===
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 『瑜伽師地論』に説かれる8種の依〔『瑜伽師地論』50、T30・576c~577a〕
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# 施設依 ものごとを仮に設けるよりどころ。個体を構成する色・受・想・行・識の五つの構成要素(五蘊)をいう。これらによって我・有情・命者・能養育者・補特伽羅・意生・儒童などの名称、あるいは氏名や家柄、苦である楽である、長寿であるなどの名称を立てる。
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# 摂受依 世話をするよりどころ。自己が世話をする七つの人びと・グループ(七摂受事)。父母・妻子・奴婢・作使・僮僕・朋友・眷属の七つをいう。
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# 住持依 いのちを支え維持するよりどころ。四種の食(段食・触食・意思食・識食)をいう。
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# 流転依 生死輪廻するよりどころ。一つは、識が住する四つのありよう(四識住)、すなわち、五蘊(色・受・想・行・識の五つ)のうちの識が色・受・想・行の四つを存在の根拠とし、同時に認識の対象としてそれぞれに愛着を生じ、五趣のなかを生死輪廻するありようをいう。もう一つは、十二縁起を、すなわち無明からはじまり老死でおわるありようをいう。
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# 障磯依 さまたげ妨害するよりどころ。善を修しようとするところに現れて、それを妨害する天魔をいう。
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# 苦悩依 苦悩を生じるよりどころ。欲を本質とする世界(欲界)の存在すべてをいう。
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# 適悦依 心の意悦を生じるよりどころ。定まった静かな禅定(静慮)の楽をいう。
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# 後辺依 最後の生存を支えるよりどころ。次の生において涅槃に入り再び生まれてこない最後の身体を形成する阿羅漢の色・受・想・行・識の五蘊をいう。
 
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 よりどころ、依止。依憑。
 
 よりどころ、依止。依憑。

2017年11月25日 (土) 09:01時点における版

般若のこと。智慧という術語では、「智」は「jñāna」、「慧」は「prajñā」の訳語とされる。

回鶻の略称。回鶻自体はウィグルのことだが、回教などとされイスラム教の象徴とされる。


(1)pariṣan-maṇḍala (S)
 大勢の人が集まる集会。(説法を聴くために)まるく取り囲んだ人びとのあつまり。衆会ともいう。

 彼彼の如来が彼彼の異類の大なる会に安坐して正法を宣説す。

(2)samavahita : sāṃnidhya (S)
 結合すること。一緒になること。

 衆縁が会す。

(3)
 かなう、一致すること。

 正見を首と為す八聖道支は正理に会す。

(4)saṃprayoga : samāgama (S)
 会う、出会うこと。

 怨憎と会す苦
 所愛との会を欲す

(5)saṃnipāta (S)
 集まる、集合する、群がること。

 多く衆と会して語言に楽著す。

(6)
 経典間で相異なる教えがあるとき、それらを比較して矛盾がないように解釈すること。会釈会通とおなじ。

 経文を会す。

adhikāra: āśrita

 あることを説く根拠・よりどころ。

 在家出家の二分の浄戒を依として、三種のを説く。

adhiṣṭhāna : āśraya

 あることを行なう、考える根拠・よりどころ。詳しくは所依という。

 分別の依と縁
 八支聖道を依として一切の世間の善法を獲得す。

adhīna

 あるものが生じる、成立する根拠、よりどころ。唯識は一切の存在を生じる根本の依として阿頼耶識を立てる。詳しくは所依・依止・所依止という。

 福は智を依として智より生起す。

āśraya : upadhi

 人として存在しつづけるよりどころとしての身体。有余依涅槃・無余依涅槃の依・依事・依持・所依事ともいう。

 一切の依が滅するを名づけて滅界と為す。
 依が滅するが故に無余依滅諦を得る。

nātha

 支えとなる保護者・援助者。

 苦ある者とは、依なき者、怙なき者なり。

pratisaraṇa

 教えを聞いて修行する際の正しいよりどころ。cf. 四依

upadhi

 生きていく上で支えとなるもの。自己の身心(五取蘊)と父母・妻子・奴婢・作使・僮僕・朋友・眷属などの人間をいう。あるいは衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依の5つが説かれる。依持ともいう。

 依者、謂、五取蘊及与七種所摂受事、即是父母及妻子等。(『瑜伽師地論』83、T30-765a)
 依有五種。謂、衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依。(『雑集論』15、T31-768c)

転依

 転依のこと。

 依者、謂、転依。捨離一切麁重、得清浄転依故。(『雑集論』11、T31-746a)

8種の依

 『瑜伽師地論』に説かれる8種の依〔『瑜伽師地論』50、T30・576c~577a〕

  1. 施設依 ものごとを仮に設けるよりどころ。個体を構成する色・受・想・行・識の五つの構成要素(五蘊)をいう。これらによって我・有情・命者・能養育者・補特伽羅・意生・儒童などの名称、あるいは氏名や家柄、苦である楽である、長寿であるなどの名称を立てる。
  2. 摂受依 世話をするよりどころ。自己が世話をする七つの人びと・グループ(七摂受事)。父母・妻子・奴婢・作使・僮僕・朋友・眷属の七つをいう。
  3. 住持依 いのちを支え維持するよりどころ。四種の食(段食・触食・意思食・識食)をいう。
  4. 流転依 生死輪廻するよりどころ。一つは、識が住する四つのありよう(四識住)、すなわち、五蘊(色・受・想・行・識の五つ)のうちの識が色・受・想・行の四つを存在の根拠とし、同時に認識の対象としてそれぞれに愛着を生じ、五趣のなかを生死輪廻するありようをいう。もう一つは、十二縁起を、すなわち無明からはじまり老死でおわるありようをいう。
  5. 障磯依 さまたげ妨害するよりどころ。善を修しようとするところに現れて、それを妨害する天魔をいう。
  6. 苦悩依 苦悩を生じるよりどころ。欲を本質とする世界(欲界)の存在すべてをいう。
  7. 適悦依 心の意悦を生じるよりどころ。定まった静かな禅定(静慮)の楽をいう。
  8. 後辺依 最後の生存を支えるよりどころ。次の生において涅槃に入り再び生まれてこない最後の身体を形成する阿羅漢の色・受・想・行・識の五蘊をいう。

 よりどころ、依止。依憑。

 能依 依っている者。
 所依 拠りどころになっている者。

 因明で、の前陳を所依という。論証されるべき命題の主辞(宗の前陳)は、論証根拠()が依属するものであるから。