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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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 実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、悪魔の軍勢を破壊しつつ、かれは住立する。あたかも、太陽が空中で輝くように。 //1.3//
 
 実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、悪魔の軍勢を破壊しつつ、かれは住立する。あたかも、太陽が空中で輝くように。 //1.3//
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==さとり==
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 ゴータマ・ブッダは、それまで輪廻的な生存の最終原因であるとされていた欲望(貪と瞋)のさらに奥に、自覚しがたくコントロールしがたい根本的な生存欲(無明、癡、渇愛)を発見し、それを智慧(具体的には「如実知見」)によって滅ぼし、そして苦である輪廻的な生存を終結させ、目覚めた人、ブッダとなった。<br>
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 根本的な生存欲を滅ぼしたということは、とりもなおさず輪廻的な生存の直接の原動力である善悪の業をも滅ぼしたということである。

2023年12月26日 (火) 15:26時点における最新版

『ウダーナ』1.1-1.3(PTS Text, pp.1-3.)

第1章 悟りの章

(1.1)
 このように、わたしは聞きました。あるとき、尊師は、ウルヴェーラーにあるネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元に居て、現等覚を得ていました。 そのとき、尊師は、七日間一つの結跏趺坐して、解脱を受けていました。 さて、尊師は、七日を過ぎて、その三昧から出定して、夜の最初の区分において、縁って起こること(縁起)を、順に、よく思い起こしました。

<これ>があるとき<これ>がある、<これ>が生ずるから<これ>が生ずる。

 すなわち、無明に縁って(志向作用)がある、行に縁って(識別作用)がある、識に縁って名色(名称と形体)がある、名色に縁って六入(6つのよりどころ)がある、六入に縁って(接触)がある、触に縁って(感受)がある、受に縁って渇愛)がある、愛に縁って執着)がある、取に縁って(生存)がある、有に縁って(生まれること)がある、生に縁って老死(老いること・死ぬこと)があり、(愁い)・(悲しみ)・(苦しみ)・(憂い)・(悩み)が集まり起こる。このように、この苦しみの集まりの集起がある。

 さて、尊師は、このことがら(意味するところ)を知って、そのときに、このウダーナ(感興のことば)を発しました。

 実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、かれには、疑いがことごとく消え去る、なぜなら、原因をもつ法を了知するからである。 //1.1//

(1.2)
 このように、わたしは聞きました。あるとき、尊師は、ウルヴェーラーにあるネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元に居て、現等覚を得ていました。 そのとき、尊師は、七日間一つの結跏趺坐して、解脱の楽を受けていました。

 さて、尊師は、七日を過ぎて、その三昧から出定して、夜の中間の区分において、縁って起こること(縁起)を、逆に、よく思い起こしました。

<これ>がないとき<これ>がない、<これ>が滅するから<これ>が滅する。

 すなわち、無明の滅により行(志向作用)が滅する、行の滅により識(識別作用)が滅する、識の滅により名色(名称と形体)が滅する、名色の滅により六入(6つのよりどころ)が滅する、六入の滅により触(接触)が滅する、触の滅により受(感受)が滅する、受の滅により愛(渇愛)が滅する、愛の滅により取(執着)が滅する、取の滅により有(生存)が滅する、有の滅により生(生まれること)が滅する、生の滅により老死(老いること・死ぬこと)が滅し、愁(愁い)・悲(悲しみ)・苦(苦しみ)・憂(憂い)・悩(悩み)が滅する。このように、この苦しみの集まりの滅がある。

 さて、尊師は、このことがらを知って、そのときに、このウダーナ(感興のことば)を発しました。

 実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、かれには、疑いがことごとく消え去る、なぜなら、諸々の(原因)の滅尽を知ったからである。 //1.2//

(1.3)
 このように、わたしは聞きました。あるとき、尊師は、ウルヴェーラーにあるネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元に居て、現等覚を得ていました。 そのとき、尊師は、七日間一つの結跏趺坐して、解脱の楽を受けていました。

 さて、尊師は、七日を過ぎて、その三昧から出定して、夜の最後の区分において、縁って起こること(縁起)を、順と逆に、よく思い起こしました。

<これ>があるとき<これ>がある、<これ>が生ずるから<これ>が生ずる。
<これ>がないとき<これ>がない、<これ>が滅するから<これ>が滅する。

 すなわち、無明に縁って行(志向作用)がある、行に縁って識(識別作用)がある、識に縁って名色(名称と色形)がある、名色に縁って六入(6つのよりどころ)がある、六処に縁って触(接触)がある、触に縁って受(感受)がある、受に縁って愛(渇愛)がある、愛によって取(執着)がある、取に縁って有(生存)がある、有に縁って生(生まれること)がある、生に縁って老死(老いること死ぬこと)があり、愁(愁い)・悲(悲しみ)・苦(苦しみ)・憂(憂い)・悩(悩み)が起こる。このように、この苦しみの集まりの集起がある。 すなわち、無明の滅により行(志向作用)が滅する、行の滅により識(識別作用)が滅する、識の滅により名色(名称と形体)がめっする、名色の滅により六入(6つのよりどころ)がある、六処の滅により触(接触)が滅する、触の滅により受(感受)が滅する、受の滅により愛(渇愛)が滅する、愛の滅により取(執着)が滅する、取の滅により有(生存)が滅する、有の滅により生(生まれること)のが滅する、生の滅により老死(老いること死ぬこと)が滅し、愁(愁い)・悲(悲しみ)・苦(苦しみ)・憂(憂い)・悩(悩み)が滅する。このように、この苦しみの集まりの滅がある。

 さて、尊師は、このことがらを知って、そのときに、このウダーナ(感興のことば)を発しました。

 実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、悪魔の軍勢を破壊しつつ、かれは住立する。あたかも、太陽が空中で輝くように。 //1.3//

さとり

 ゴータマ・ブッダは、それまで輪廻的な生存の最終原因であるとされていた欲望(貪と瞋)のさらに奥に、自覚しがたくコントロールしがたい根本的な生存欲(無明、癡、渇愛)を発見し、それを智慧(具体的には「如実知見」)によって滅ぼし、そして苦である輪廻的な生存を終結させ、目覚めた人、ブッダとなった。
 根本的な生存欲を滅ぼしたということは、とりもなおさず輪廻的な生存の直接の原動力である善悪の業をも滅ぼしたということである。