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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2017年11月25日 (土) 08:51時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 ()

般若のこと。智慧という術語では、「智」は「jñāna」、「慧」は「prajñā」の訳語とされる。

回鶻の略称。回鶻自体はウィグルのことだが、回教などとされイスラム教の象徴とされる。


(1)pariṣan-maṇḍala (S)
 大勢の人が集まる集会。(説法を聴くために)まるく取り囲んだ人びとのあつまり。衆会ともいう。

 彼彼の如来が彼彼の異類の大なる会に安坐して正法を宣説す。

(2)samavahita : sāṃnidhya (S)
 結合すること。一緒になること。

 衆縁が会す。

(3)
 かなう、一致すること。

 正見を首と為す八聖道支は正理に会す。

(4)saṃprayoga : samāgama (S)
 会う、出会うこと。

 怨憎と会す苦
 所愛との会を欲す

(5)saṃnipāta (S)
 集まる、集合する、群がること。

 多く衆と会して語言に楽著す。

(6)
 経典間で相異なる教えがあるとき、それらを比較して矛盾がないように解釈すること。会釈会通とおなじ。

 経文を会す。

adhikāra: āśrita

 あることを説く根拠・よりどころ。

 在家出家の二分の浄戒を依として、三種のを説く。

adhiṣṭhāna : āśraya

 あることを行なう、考える根拠・よりどころ。詳しくは所依という。

 分別の依と縁
 八支聖道を依として一切の世間の善法を獲得す。

adhīna

 あるものが生じる、成立する根拠、よりどころ。唯識は一切の存在を生じる根本の依として阿頼耶識を立てる。詳しくは所依・依止・所依止という。

 福は智を依として智より生起す。

āśraya : upadhi

 人として存在しつづけるよりどころとしての身体。有余依涅槃・無余依涅槃の依・依事・依持・所依事ともいう。

 一切の依が滅するを名づけて滅界と為す。
 依が滅するが故に無余依滅諦を得る。

nātha

 支えとなる保護者・援助者。

 苦ある者とは、依なき者、怙なき者なり。

pratisaraṇa

 教えを聞いて修行する際の正しいよりどころ。cf. 四依

upadhi

 生きていく上で支えとなるもの。自己の身心(五取蘊)と父母・妻子・奴婢・作使・僮僕・朋友・眷属などの人間をいう。あるいは衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依の5つが説かれる。依持ともいう。

 依者、謂、五取蘊及与七種所摂受事、即是父母及妻子等。(『瑜伽師地論』83、T30-765a)
 依有五種。謂、衆具依・善友依・法依・作意依・三摩鉢底依。(『雑集論』15、T31-768c)

 よりどころ、依止。依憑。

 能依 依っている者。
 所依 拠りどころになっている者。

 因明で、の前陳を所依という。論証されるべき命題の主辞(宗の前陳)は、論証根拠()が依属するものであるから。