だるま

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ダルマ

dharma धर्म (S) 語形的には語根dhṛ(保つ)の派生語で「保つもの」(参照 

 サンスクリット語では、多様な意味をもつが、漢語ではほとんど「法」と訳されている。
 一般的には「倫理的規範」「きまり」を意味するので、法律も、宗教的義務もダルマである。また善の価値観を入れて「美徳」「義務」「正義」の意味にもなり、古来インドにおける人生の四大事(法・実利・愛欲・解脱)の一つでもある。

 ジャイナ教教祖マハービーラは、ベーダ聖典の権威を否定し、あらゆる人間、あらゆるとき、あらゆるところにおいても遵奉すべき普遍的なダルマがあると考えた。
 釈迦は一切の形而上学的独断を排し、既成の価値観から推論することをやめ、現実そのものに向い、現実のなかから人間の生きるべき道を明らかにして、これをダルマと呼んだ。

 このようにダルマは「教説」でもあり、人間の守るべき永遠の理法としての「真理」でもある。ダルマの実現を政治理想としたアショーカ王の存在からも知られるように、宗教的義務であるダルマは、同時に超法律的な人倫の法でもある。これはインド的な政治観念として興味深い。


達磨

(? - 530?) 禅宗の初祖 円覚大師

 6世紀初頭にインドから中国に渡り、『楞伽経』を広めた菩提達摩(Bodhidharma)と同一人物とされている。しかし、菩提達摩の伝記中の事跡はかなり潤色され神秘化され、その実在すら疑われていた。現代では敦煌出土の資料から彼が『二入四行論』などを説いたことなどが明らかにされている。

 『続高僧伝』によれば、南インドのバラモンの家に生れ、大乗仏教に志し、海路から中国に渡り、北方のに行った。の武帝に召されて金陵におもむき、を教えたが、機縁がまだ熟していないのを知ってただちに去り、洛陽の東方の嵩山少林寺に入り、壁に向って坐禅した(壁観)。慧可が来て教えを求め、腕を切取ってその誠を示したので、ついに一宗の心印を授けたという伝説がある。

 壁観の面壁9年の伝説から、後世日本では手足のないだるま像が作られ、七転八起の諺となった。

語録

 達摩の語録とされる『二入四行論』は、の悟りに加えて、後者を四つに分けて説く。
 インド仏教の四摂法に当るもので、特に壁観と名づける前者の実践は初祖の史実にふさわしい。達摩の語録の研究は、敦煌発見のテキストを加えて近代中国仏教史の成果の一つである。梁の武帝や二祖慧可との問答は、古来公案として工夫され、文学や絵画の題材となった。