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「むいほっしん」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(無為法身)
 
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 ただし無為法身という云い方はインドで発展した、仏陀の二身説(法身・色身)、三身説([[じしょうしん|自性身]]・[[じゅゆうしん|受用身]]・[[へんげしん|変化身]]、あるいは、法身・[[ほうじん|報身]]・[けしん|化身]]ともいう)と直接結びつく術語ではなく、むしろ、[[どんらん|曇鸞]]が法身を[[ほっしょうほっしん|法性法身]]と[[ほうべんほっしん|方便法身]]とに分けた、その前者に近い概念であろう。<br>
 
 ただし無為法身という云い方はインドで発展した、仏陀の二身説(法身・色身)、三身説([[じしょうしん|自性身]]・[[じゅゆうしん|受用身]]・[[へんげしん|変化身]]、あるいは、法身・[[ほうじん|報身]]・[けしん|化身]]ともいう)と直接結びつく術語ではなく、むしろ、[[どんらん|曇鸞]]が法身を[[ほっしょうほっしん|法性法身]]と[[ほうべんほっしん|方便法身]]とに分けた、その前者に近い概念であろう。<br>
 
 『大乗涅槃経』が[[ねはん|涅槃]]を[[うい|有為]]と[[むい|無為]]との2種に分けるのと関係があるかもしれない。
 
 『大乗涅槃経』が[[ねはん|涅槃]]を[[うい|有為]]と[[むい|無為]]との2種に分けるのと関係があるかもしれない。
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 無為なる仏の本体。法身とは、色も形もなく、宇宙にあまねく満ちる絶対の真理そのものである仏の身。それは因縁によってつくられたものではなく、生滅を離れているから、無為という。ニルヴァーナに同じ。
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:何を以ての故に、遮して不可と言ひ應に佛の三相を以て[[ほっしん|法身]]如來を見る也。故に釋して云ふ、如來を'''無爲法身'''と名づく故に。〔金剛仙論、T25.0811c〕
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:[[しょうじょうじゅ|正定聚]]に住するがゆゑに、かならず[[めつど|滅度]]に至る。かならず滅度に至るはすなはちこれ[[じょうらく|常楽]]なり。常楽はすなはちこれ畢竟[[じゃくめつ|寂滅]]なり。寂滅はすなはちこれ[[むじょうねはん|無上涅槃]]なり。無上涅槃はすなはちこれ'''無為法身'''なり。無為法身はすなはちこれ[[じっそう|実相]]なり。実相はすなはちこれ[[ほっしょう|法性]]なり。法性はすなはちこれ[[しんにょ|真如]]なり。真如はすなはちこれ[[いちにょ|一如]]なり。〔証巻、p,307〕
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[[むじょうねはん|無上涅槃]]のさとりをひらく能証の身。〔円乗〕

2023年1月25日 (水) 11:13時点における最新版

無為法身

 無為(asaṃskṛta)は原因によって作られたのではない、したがって変化しないものをいう。
 法身(dharma-kāya)は真理としての仏身をいい、色身(rūpa-kāya) すなわち生身としての仏陀に対する。
 あらゆる制約を超え、色もなく形もない、真理そのものとしての仏身を無為法身という。
 ただし無為法身という云い方はインドで発展した、仏陀の二身説(法身・色身)、三身説(自性身受用身変化身、あるいは、法身・報身・[けしん|化身]]ともいう)と直接結びつく術語ではなく、むしろ、曇鸞が法身を法性法身方便法身とに分けた、その前者に近い概念であろう。
 『大乗涅槃経』が涅槃有為無為との2種に分けるのと関係があるかもしれない。


 無為なる仏の本体。法身とは、色も形もなく、宇宙にあまねく満ちる絶対の真理そのものである仏の身。それは因縁によってつくられたものではなく、生滅を離れているから、無為という。ニルヴァーナに同じ。

何を以ての故に、遮して不可と言ひ應に佛の三相を以て法身如來を見る也。故に釋して云ふ、如來を無爲法身と名づく故に。〔金剛仙論、T25.0811c〕
正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。かならず滅度に至るはすなはちこれ常楽なり。常楽はすなはちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなはちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなはちこれ無為法身なり。無為法身はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。真如はすなはちこれ一如なり。〔証巻、p,307〕
無上涅槃のさとりをひらく能証の身。〔円乗〕