まっぽう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
末法
釈尊入滅後、その教法を実行しさとりうるものが時の経過とともに少なくなり、仏法が衰滅するという思想である。
当初、インド方面で、真実正法(しょうぼう)1千年(500年)存在説(『雑阿含経』25、『五分律』29、パーリ『増支部経典』5の第8集の「六瞿曇弥品(くどんやほん)」、『大毘婆沙論』183など)が出され、のち、比丘の堕落、諸国王の仏教破壊などにより、正法は5百年(1千年)で滅し、相似(そうじ)の似而非(えせ)の仏法たる像法(ぞうぼう)が1千年または5百年行われるにとどまるとの説が出されてくる(『雑阿含経』32、『大宝積経』2・89、『大集経賢護分(けんごぶん)』、『大集経』56、『悲華経』7、『摩訶摩耶経(まかまやきょう)』下、『大乗三聚懺悔経(だいじょうさんじゅさんげきょう)』など)。
龍樹の『中論』の最初や『智度論』44、63、88など、部派仏教者を、仏滅後5百年の像似(ぞうじ)のにせ仏教者と貶称する。
このような正法・像法仏教衰滅思想を受けて、中国で、大成されるのが末法法滅思想である。このように、当初は、正法・像法法滅思想にとどまるが、南北朝末より隋、唐初に至るや、正像末三時の思想が表れてくる。天台の慧思は『立誓願文(りっせいがんもん)』に正法5百年、像法1千年、末法(まっぽう)1万年説を出し、信行は末法時の三階(さんがい)仏教の実践を提唱し、道綽は『安楽集』に末法五濁悪世(ごじょくあくせ)時の念仏を主唱し、南山律(なんざんりつ)の道宣は『四分律行事鈔(ぎょうじしょう)』『[[ぞくこうそうでん|続高僧伝』などに像末時の戒律復興を説いている。また、法相宗の窺基は『大乗法苑義林章』などに、正法時には「教・行・証」の三つが整っているも、像法時は「教・行」のみで、末法時には「教」のみとなるから、仏道に専精するようにと説くに至る。
三論の吉蔵の『三論玄義』『十二門論疏』などにも、正法5百年・像法1千年(5百年)・末法1万年説を示すが、慧思、信行、道綽、道宣などが、仏教像季(ぞうき)(像法時の末)末法衰滅史観に直接たち、実践的に仏法興隆を強く叫ぶ。とくに、信行は一仏一教によらない普真普正(ふしんふしょう)(あらゆる真・正なるもの)の三階仏法・普法(ふほう)の激しい実践修行を説き、道綽は浄土念仏易行道の実践を主張し、後の仏教界へ多く影響した。
日本においても、以上の動向を受け、日本天台の祖最澄の『正像末文(しょうぞうまつもん)』やその著とされる『末法燈明記』などの末法思想の高揚がある。
とくに、『末法燈明記』によると、周(しゅう)の穆王(ぼくおう)53年仏入滅(前949)とする正五・像千・末万説は、後の皇円(こうえん)の『扶桑略記』29などに示す正千・像千・末万説とともに、平安朝中末期より鎌倉期の仏教界に、多大の影響を与えた。
円珍の『授菩薩戒儀記(じゅぼさつかいぎき)』、源信の『往生要集』、永観の『往生拾因』などより、とくに、鎌倉仏教者法然(源空)の『選択集』、栄西の『興禅護国論(こうぜんごこくろん)』、貞慶の『愚迷発心集(ぐめいほっしんしゅう)』、高弁の『華厳仏光観法門(けごんぶつこうかんぼうもん)』、親鸞の『教行信証』、道元の『永平広録(えいへいこうろく)』、日蓮の『顕仏未来記(けんぶつみらいき)』などに至ると、末法仏教衰滅思想を痛感するなかに、正像末三時超越の絶対永遠不滅仏教の実践を主張する。