「りゅうじゅ」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
(→楞伽経の記) |
(→龍樹) |
||
(同じ利用者による、間の3版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
=龍樹= | =龍樹= | ||
− | りゅうじゅ、<big>Nāgārjuna</big> नागार्जुन(S) | + | りゅうじゅ、<big>Nāgārjuna</big> नागार्जुन(S)、これは旧訳であって、新訳では「[[りゅうみょう|龍猛]]」 |
− | 150‐250 | + | 150‐250 年ころのインドの僧。生没年不詳。(ラモットは240-300年ころとする)名前は[[サンスクリット]]で「ナーガールジュナ(naagaarjuna)」。南インドのビダルバのバラモン出身で、幼い頃から多くの学問に通じた。シャータバーハナ朝の保護のもと、セイロン・カシミール・ガンダーラ・中国などからの僧侶のために僧院を設けた。この地は後にナーガールジュナコンダと呼ばれる。<br> |
[[だいしゅぶ|大衆部]]・[[じょうざぶ|上座部]]・[[せついっさいうぶ|説一切有部]]、さらには当時はじまった[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]運動を体系化した。ことに大乗仏教の基盤となる''[[はんにゃきょう|般若経]]''で強調された「[[くう|空]]」を、[[むじしょう|無自性]]であるから「空」であると論じ、[[しゃか|釈迦]]の[[えんぎ|縁起]]を説明し、後の仏教全般に決定的影響を与える。これによって中国や日本では「八宗の祖」と仰がれている。<br> | [[だいしゅぶ|大衆部]]・[[じょうざぶ|上座部]]・[[せついっさいうぶ|説一切有部]]、さらには当時はじまった[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]運動を体系化した。ことに大乗仏教の基盤となる''[[はんにゃきょう|般若経]]''で強調された「[[くう|空]]」を、[[むじしょう|無自性]]であるから「空」であると論じ、[[しゃか|釈迦]]の[[えんぎ|縁起]]を説明し、後の仏教全般に決定的影響を与える。これによって中国や日本では「八宗の祖」と仰がれている。<br> | ||
彼の教えは、[[くまらじゅう|鳩摩羅什]](クマーラジーバ)によって中国に伝えられ、[[さんろんしゅう|三論宗]]が成立。また、[[シャーンタラクシタ]]によってチベットに伝えられ、[[ツォンカパ]]を頂点とする[[ちべっとぶっきょう|チベット仏教]]([[らまきょう|ラマ教]])教学の中核となる。8世紀以降のインド密教においても、竜樹を著者とする''[[ごしだい|五次第]]''などの多数の文献が著された。 | 彼の教えは、[[くまらじゅう|鳩摩羅什]](クマーラジーバ)によって中国に伝えられ、[[さんろんしゅう|三論宗]]が成立。また、[[シャーンタラクシタ]]によってチベットに伝えられ、[[ツォンカパ]]を頂点とする[[ちべっとぶっきょう|チベット仏教]]([[らまきょう|ラマ教]])教学の中核となる。8世紀以降のインド密教においても、竜樹を著者とする''[[ごしだい|五次第]]''などの多数の文献が著された。 | ||
13行目: | 13行目: | ||
===曇鸞の讃嘆=== | ===曇鸞の讃嘆=== | ||
− | : | + | : 本師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて頽綱を理へ、邪扇を関閉して正轍を開く。これ閻浮提の一切の眼なり。伏して承るに尊(龍樹)、歓喜地を悟りて、阿弥陀に帰して安楽に生ぜり。〔讃阿弥陀仏偈、p.176、T47-424a〕 |
==著作== | ==著作== |
2024年11月1日 (金) 16:06時点における最新版
龍樹
りゅうじゅ、Nāgārjuna नागार्जुन(S)、これは旧訳であって、新訳では「龍猛」
150‐250 年ころのインドの僧。生没年不詳。(ラモットは240-300年ころとする)名前はサンスクリットで「ナーガールジュナ(naagaarjuna)」。南インドのビダルバのバラモン出身で、幼い頃から多くの学問に通じた。シャータバーハナ朝の保護のもと、セイロン・カシミール・ガンダーラ・中国などからの僧侶のために僧院を設けた。この地は後にナーガールジュナコンダと呼ばれる。
大衆部・上座部・説一切有部、さらには当時はじまった大乗仏教運動を体系化した。ことに大乗仏教の基盤となる般若経で強調された「空」を、無自性であるから「空」であると論じ、釈迦の縁起を説明し、後の仏教全般に決定的影響を与える。これによって中国や日本では「八宗の祖」と仰がれている。
彼の教えは、鳩摩羅什(クマーラジーバ)によって中国に伝えられ、三論宗が成立。また、シャーンタラクシタによってチベットに伝えられ、ツォンカパを頂点とするチベット仏教(ラマ教)教学の中核となる。8世紀以降のインド密教においても、竜樹を著者とする五次第などの多数の文献が著された。
楞伽経の記
- 南大国の中に大徳の比丘ありて、龍樹菩薩と名づく。よく有無の見を破し、人のために我法と大乗無上の法を説いて、歓喜地を得て、安楽国へ往生することを証す。
- 於南大國中 有大徳比丘 名龍樹菩薩 能破有無見 爲人説我法 大乘無上法 證得歡喜地 往生安樂國 〔入楞伽経 No.671 T16.569a〕
この文によって、正信偈の「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」と詠われた。
曇鸞の讃嘆
- 本師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて頽綱を理へ、邪扇を関閉して正轍を開く。これ閻浮提の一切の眼なり。伏して承るに尊(龍樹)、歓喜地を悟りて、阿弥陀に帰して安楽に生ぜり。〔讃阿弥陀仏偈、p.176、T47-424a〕
著作
- 中論 (正確には頌のみ彼の著作)
- 般若経の注釈書であり、初期の仏教からインド中期仏教までの術語を概説している。
- 大乗菩薩の階位について論述している。おそらくは、偈頌のみが龍樹の作。ことに易行品によって浄土教の往生と成仏が論証されている。
- 宝行王正論
- 勧誡王頌
- 四讃歌
- 大乗破有論
- 菩提資糧論
- 因縁心論
- 大乗二十頌論
- 方便心論