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アビダルマ([[あびだつま|阿毘達磨]])教学では、望み欲求する心のはたらき([[しんじょ|心所]])とし、『[[くしゃろん|倶舎論]]』(4)では大地法(だいじほう)(→[[ごいしちじゅうごほう|五位七十五法]])の一つとする。<br> | アビダルマ([[あびだつま|阿毘達磨]])教学では、望み欲求する心のはたらき([[しんじょ|心所]])とし、『[[くしゃろん|倶舎論]]』(4)では大地法(だいじほう)(→[[ごいしちじゅうごほう|五位七十五法]])の一つとする。<br> | ||
− | [[ゆいしき|唯識]]では、「欲」はすべての心の状態に応じて起こるのではなく、ただ欲求する対象に対して起こる(別境(べっきょう))ので五別境の一つとし、「欲」のはたらきには[[ぜん|善]]・[[あく|悪]]・[[むき|無記]](その両者でもない)の[[さんしょう|三性]]をも求める。善欲は努力し励む心を起こす拠り所であり、悪欲のうちで、他人の物を欲しがる(貪欲)のは根本煩悩の一つに数える。なお、「意欲」は[[めいそう|瞑想]]の過程における6種の欠陥のうち、[[ | + | [[ゆいしき|唯識]]では、「欲」はすべての心の状態に応じて起こるのではなく、ただ欲求する対象に対して起こる(別境(べっきょう))ので五別境の一つとし、「欲」のはたらきには[[ぜん|善]]・[[あく|悪]]・[[むき|無記]](その両者でもない)の[[さんしょう|三性]]をも求める。善欲は努力し励む心を起こす拠り所であり、悪欲のうちで、他人の物を欲しがる(貪欲)のは根本煩悩の一つに数える。なお、「意欲」は[[めいそう|瞑想]]の過程における6種の欠陥のうち、[[けだい|懈怠]]を取り除く要素の一つとする。 |
===六欲=== | ===六欲=== | ||
「欲」はまた愛欲(kaama)、特に[[いんよく|婬欲]]・性欲を意味する。[[ぼんぶ|凡夫]]が異性に対して、色欲・形貌欲・威儀姿態欲・語言音声欲・細滑欲・人相欲の姿形や声などの様相に対して起こす欲を「六欲」という。<br> | 「欲」はまた愛欲(kaama)、特に[[いんよく|婬欲]]・性欲を意味する。[[ぼんぶ|凡夫]]が異性に対して、色欲・形貌欲・威儀姿態欲・語言音声欲・細滑欲・人相欲の姿形や声などの様相に対して起こす欲を「六欲」という。<br> | ||
ただし、六欲には、[[げん|眼]]・[[に|耳]]・[[び|鼻]]・[[ぜつ|舌]]・[[しん|身]]・[[い|意]]の六感覚器官([[ろっこん|六根]])から生ずるさまざまな欲望をもいう。「[[よっかい|欲界]]」とは、このような愛欲などの欲があるところであるというので、このように名づけられた。 | ただし、六欲には、[[げん|眼]]・[[に|耳]]・[[び|鼻]]・[[ぜつ|舌]]・[[しん|身]]・[[い|意]]の六感覚器官([[ろっこん|六根]])から生ずるさまざまな欲望をもいう。「[[よっかい|欲界]]」とは、このような愛欲などの欲があるところであるというので、このように名づけられた。 |
2014年3月5日 (水) 16:43時点における版
欲
意欲・欲求・欲望,愛欲から渇愛(→愛)、貪欲・妄執など、煩悩や執着性までを含む語。
何かを望み欲求する心のはたらきのことで、本能的欲求から精神的・向上性的意欲までも意味する。この中で向上性的意欲までを否定するのではなく、そこにまつわる対象への執着を否定する。したがって、わずかなもので満足する「少欲知足」が出家者には奨励される。
欲の解釈
アビダルマ(阿毘達磨)教学では、望み欲求する心のはたらき(心所)とし、『倶舎論』(4)では大地法(だいじほう)(→五位七十五法)の一つとする。
唯識では、「欲」はすべての心の状態に応じて起こるのではなく、ただ欲求する対象に対して起こる(別境(べっきょう))ので五別境の一つとし、「欲」のはたらきには善・悪・無記(その両者でもない)の三性をも求める。善欲は努力し励む心を起こす拠り所であり、悪欲のうちで、他人の物を欲しがる(貪欲)のは根本煩悩の一つに数える。なお、「意欲」は瞑想の過程における6種の欠陥のうち、懈怠を取り除く要素の一つとする。
六欲
「欲」はまた愛欲(kaama)、特に婬欲・性欲を意味する。凡夫が異性に対して、色欲・形貌欲・威儀姿態欲・語言音声欲・細滑欲・人相欲の姿形や声などの様相に対して起こす欲を「六欲」という。
ただし、六欲には、眼・耳・鼻・舌・身・意の六感覚器官(六根)から生ずるさまざまな欲望をもいう。「欲界」とは、このような愛欲などの欲があるところであるというので、このように名づけられた。