ちゅう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
中
madhya मध्य, madhyama मध्यम (skt.)
二分法によって分けられたそのどちらにも属さず、それを超越したありかたを示す。
二分法には、たとえば有と無、常と断、苦と楽などがあり、通常そのどちらかが一つの極端(anta、辺)にまで進み、しかもそれに固執する。仏教はそれを批判して、この「中」を繰り返し説く。「中」は仏教全体を一貫している。
不苦不楽の中道
釈尊はもと豊かな王族の家に生まれ楽に満ちた青春を送り、やがてそれから出家すると、厳しい苦行に6年間も励む。しかしそれも捨てたあとに、瞑想のうちに悟りを開いた。その経歴もあって、最初の説法であるサールナートの鹿の園(鹿野苑)における初転法輪には、「中道」を掲げる例が多い。これは通常「不苦不楽の中道」と言われ、また「道」は向かって(paṭi-)踏む(pad)に由来して、実践的色彩が濃い。また釈尊の当時は新しい自由思想家が輩出して、一方に快楽主義や唯物論が、他方に苦行偏重や禁欲主義があり、その両極端への批判も、中道説には込められていたと推察される。
初期経典の中
初期の諸経典に説かれる「中」は、そのほかに、常住と断滅とに対する「不常不断の中道」や、有と無とに対する「非有非無の中道」などがあり、これらは一つの極端に固執した偏見を厳しく警める。このさい、一辺と他の辺とを共に否定する「中」は、必ず二重否定の構造を有し、これは仏教の理想であるニルヴァーナ(nirvāṇa 涅槃)にあい通ずるところがある。ただし、その後の部派仏教には「中」の主張はほとんど現れない。
龍樹の中論
初期大乗仏教を基礎づけた龍樹は主著の『中論』(madhyamaka-kārikā)において、特にその第24品に彼の中心思想である「縁起―無自性―空」を詳述し、そのなかの第18偈に、「縁起」と「空」と「中道」(s:madhyamā pratipad)とをほぼ同義語として扱い、釈尊の中道への復帰を含意しつつ宣言した。『中論』という名称は、同書約450偈中でただ1回のみ登場するこの「中道」の語に基づく、また彼の信奉者は後代すべて中観派(mādhyamika)と称した。
唯識の中
無着が著し世親が注釈を加えた『中辺分別論(madhyānta-vibhāga)は、唯識説の重要な論書であって、ここには「中」と「辺」との分析が果たされた。