けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい
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顕浄土真実教行証文類
けん-じょうど-しんじつ-きょうぎょうしょう-もんるい、6巻。
著者:親鸞、浄土真宗の根本聖典である。
本書はしばしば『教行信証』と略称されるが、題名に著わされているように、浄土門の真実の教行証を顕す文類、つまり阿弥陀仏の教えを説く経典や、その教えを伝承した高僧たちの解釈を集め、さらに親鸞独自の解釈を加えて根本教義を詳説した論書である。
- 『心持観経』では「教理行果」とし、『華厳経』では「信解行証」とするが、「教行信証」とするのは、親鸞独特の分け方である。
また、浄土真宗の根本聖典であることから、『本典』と略称され、「ご本典」と呼んで尊ばれている。さらに、『教行証文類』『広文類』など略称される。
本書には、親鸞の真筆本があり、東本願寺に現存する。これは、袋とじの6冊本で、第1冊教行2巻、第2冊信巻、第3冊証巻、第4冊真仏土巻、第5冊化身土巻本、第6冊化身土巻末となっている。本文中には添削改訂の跡が多く、遅くまで親鸞自身によって推敲が重ねられた跡が見られる。そのため、草稿本と見られていたが、後の研究により再稿本とされている。これは国宝に指定されている。
本書の最古の書写本は、建長7年(1256年)、親鸞83歳の時に、弟子の専信が書写校合したものであり、専修寺が所蔵している。
親鸞滅後、文永12年(1276年)に書写された一本が西本願寺に収蔵されており、前の専修寺本とともに清書本と呼ばれているほど、親鸞の筆に酷似している。ただし、両本ともに各巻それぞれ1冊にまとめた6冊本である。
また、これら漢文体のものだけでなく、延べ書きしたものが、本願寺の覚如・存覚などの初期段階から作成され流布している。
内容
本書は、漢文に返り点が付けられて親鸞の独自の読み方が残っており、ほとんどが上記の経典や論書の引用文であるが、親鸞が解釈した部分には駢文や漢詩の形態の部分がある。
本書の6巻は、「教」「行」「信」「証」「真仏土」「化身土」に分かれており、その前後に序と跋が付いている。
序
序は、「総序」と呼ばれて、信巻に付属する序と区別される。
駢文で書かれており、称えやすいため、説教の初めに讃題として使われることが多い。
この中で「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと」と表明して、本書を作成することとなった因縁を説いている。
教巻
教巻はおよそ3つに分かれる。まず真実の教えとはどのようなものかを説き、次に経文をあげて、最後に真実の教えを讃える。
浄土真宗では、二種の回向、つまり往相回向と還相回向を説いている。教巻では、初めに「往相の回向について真実の教行信証あり」として、浄土に往生する様相が4種に分かれることを説く。その真実の教とは「無量寿経」であることを明かして、この教に阿弥陀仏が、すべての苦しみの中にある衆生を浄土にすくい取ろうとする本願を発したことを明かし、釈迦がこの教えを我々に伝えるために、この世に現われた(出世の本懐(ほんがい))と説く。これによって、阿弥陀如来の本願がこの経の要であり、南無阿弥陀仏の名号が経の体(本性)であるとする。
行巻
行巻はおおよそ2段に分けられる。前段では称名念仏が正しい真実行であることを説き、後段ではその称名念仏が凡夫にとっての唯一絶対の道であることを説く。
前段では、称名念仏が大行であり、それが如来の本願に因っていることを諸僧の説によって説いている。さらに親鸞は、その称名は数が問題になるのではないとする。
後段では、他力本願の意義を明かし、これこそ唯一の仏道であることを説く。続いて、念仏と他の修行とを比較し、浄土を願う人たちに称名念仏を勧めている。
行巻の最後には、後に蓮如によって門徒が読誦するよう整備された「正信偈」が詠われ、阿弥陀仏の教えとそれを伝承した七高僧の徳が讃歎されている。
信巻
信巻では、「信心」について説かれている。初めに信巻にだけつけられる序があり、真実の信心は凡夫の内に求められるものではなく、如来の願によって発されるものであると説いて、信巻が著わされる因を説く。
この信巻は、2段に分かれ、前段では本願による信心の体を明かし、後段では信心が起こるすがたを説いている。
まず前段では、信心の意義を説いて、その本となる本願とその本願の成就文を挙げ、さらに曇鸞・善導・源信の信心についての文章を引いて、如来の本願が我々に回向されていることを説いている。
この回向を説明して、本願の三心と天親の『浄土論』に説く一心について、字訓と経典を参照して三心即一心と説いて、これが真実の菩提心であることを明かしている。
後段では、信心が開かれるすがたを説き、そこから生死からの解脱の道が開かれることを明かし、真の仏弟子となることを喜ぶ。阿闍世が信心を得ることによって、五逆謗法の者が救われることを説いて、信心が容易に得難いものであることを説いている。
証巻
証巻は、浄土に往生したものが、阿弥陀如来と一味である涅槃を証することを明かし、それによって大悲から起こる利他行である還相回向を行ずることを説く。
まず、浄土に往生した者が得る涅槃を明かし、それが本願の成就をあげて、天親・道綽・善導の文を引いて、往相回向を結ぶ。
続いて、還相回向の意義を説き、『浄土論』と『論註』によってこれを証明する。還相回向の意義として、平等法身の徳は不行の行であり、阿弥陀如来の徳と同じであり、柔軟心を成就し、智慧と慈悲と方便を具えて、教化自在であることを説く。
真仏土巻
真仏土とは、報身の阿弥陀如来の浄土を指す。この巻では、まず本願とその成就とを挙げて真仏土を説明して、とくに『涅槃経』によって如来即涅槃の義を顕す。ついで『浄土論』によって浄土の徳を示し、真報土の意義を善導の説によって論証する。
引き続き、憬興の十二光仏の解釈によって、真仏土が凡夫の境界ではないことを明かし、そこから化身土が現れることを説いている。
化身土巻
化身土とは、応化身の阿弥陀仏の浄土のことであり、救う対象に応じて現れた教えであり、権仮つまり方便という意味である。
ここでは、『観無量寿経』によって浄土への往生を勧めながら、それらの行が修しがたいことを説き、『阿弥陀経』によって専修念仏を勧めて、さらに難信を説いている。ここに親鸞自身の反省が説かれ、三願転入を説いて、方便の教えを結んでいる。
引き続き、『末法灯明記』を引いて、聖道門の教えが末法の時代の凡夫には適していないとして、それが真正なものではないとしている。
跋
最後に、「後序」と呼ばれる跋文が付けられ、本書を著した経緯が記されている。
参考文献
- 金子大栄校訂 『教行信証』 岩波文庫 ISBN4-00-007075-4
- 真宗聖典編纂委員会編纂 『浄土真宗聖典』(原典版) 昭和60年発行 本願寺出版部
- 教学伝道研究センター編纂 『浄土真宗聖典』(註釈版) 1988年発行 本願寺出版社 ISBN4-89416-270-9
- 浄土真宗聖典編纂委員会編纂 『顕浄土真実教行証文類』(現代語版) 2000年発行 本願寺出版社 ISBN4-89416-668-2
- 大原性実著 『教行信証概説』 1959年発行 平楽寺書院 サーラ叢書
- 梅原真隆訳註 『教行信証』4巻 1962年発行 角川文庫
- 石田瑞麿著 『教行信証 上』 1976年発行 春秋社
- 石田瑞麿著 『教行信証 下』 1979年発行 春秋社
- 梯實圓著 『教行信証 教行の巻』 2004年発行 本願寺出版社 ISBN4-89416-500-7
- 梯實圓著 『教行信証 信の巻』 2008年発行 本願寺出版社 ISBN4-89416-501-4